大判例

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東京地方裁判所 昭和47年(ワ)8483号 判決

原告 那須真一

右訴訟代理人弁護士 新井章

同 雪入益見

同 門井節夫

同 内藤功

被告 日本国有鉄道

右代表者総裁 藤井松太郎

右訴訟代理人弁護士 西迪雄

右指定代理人 岩崎和仁

〈ほか二名〉

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

(請求の趣旨)

原告と被告の間に期間の定めのない雇用契約関係が存在することを確認する。

被告は原告に対し、六、九九七、四六三円及び右金員に対する昭和五〇年一〇月九日から完済まで年五分の割合による金員並びに昭和五〇年六月一日から本判決確定の日まで毎月二〇日限り一三一、〇〇〇円の割合による金員を支払え。

訴訟費用は被告の負担とする。

(請求の趣旨に対する答弁)

主文同旨

≪以下事実省略≫

理由

一  当事者の関係と懲戒免職の意思表示

原告は被告と期間の定めのない雇用契約を結んで被告に雇用されていたところ、被告は、昭和四四年七月二六日、原告は日本国有鉄道法三一条一項一号にいわゆる業務上の規程である国鉄職員の懲戒事由を定めた日本国有鉄道就業規則六六条一七号の「著しく不都合な行いのあったとき」に該当することを理由として、原告に対して懲戒免職の意思表示をした。

以上の事実は当事者間に争いがない。

二  懲戒免職理由

(一)  五・三〇斗争と原告の役割

≪証拠省略≫によれば、次の事実が認定でき、これに反する証拠はない。

国鉄当局が、昭和四二年三月、合理化の一環として、「電気機関車(EL)及びディーゼル機関車(DL)の動力車乗務員数は、機関士一名乗務を原則とする」旨を提案して以来、いわゆる機関助士廃止の是非をめぐって労使間の団体交渉が重ねられたが、互いに結論を見出すには至らず、翌四三年一〇月、専門学者で構成されるEL・DL委員会を発足させ、EL・DL機関車乗務の安全問題について、労働科学、人間工学の面からの調査・検討を依頼した。同委員会は、翌四四年四月、「二人乗務を一人乗務にきりかえつゝそれを前提とした種々の施策を実施してゆくことを、現在の国鉄の基本方針にすべき時期にきていると考える。」旨その調査結果を総括したため、当局は、同年五月一二日動労に対して、翌六月一日以降「全線区の助士廃止・一人乗務」実施を提案した。動労側は、これに対して、委員会の調査方法・内容・結論にはいずれも問題があり、報告書は無効であるときめつけ、助士廃止の白紙撤回を要求し、これが実現を図るため、同月三〇日午前零時以降全国主要線区を対象として連続波状的に一二時間ないし二〇時間のストライキを実施するとともに、同月二五日から徹底した順法斗争に入ることとなった。

原告は、動労に所属して同四三年以来東京地方本部田端支部書記長であったところ、同支部に対応する田端機関区(尾久駅構内における運転業務が含まれている。)も斗争拠点に指定されたため、組合の指令に基づき、本件いわゆる五・三〇斗争に参加した。

(二)  入換作業妨害

五月二九日午前七時四〇分頃、尾久駅構内到着一番線において、助役白石篤治、同青木義雄が乗車して勤務中の臨D入AB一一一仕業DD一三二四号機関車の乗務員室に原告が乗り込んだことは、当事者間に争いがない。

≪証拠省略≫によれば、次の事実が認定できる。

尾久駅構内における入換作業は、早朝から午前中にかけてとくにその業務が集中していたところ、当日は、早朝からの順法斗争により、平常時における時速二〇キロ前後のスピードが四、五キロ程度にまで減速して作業が行われ、入換作業が大巾に遅延したため、当局側は、これを取り戻すべく、白石、青木両助役が客車を連結した本件機関車を運転し、到着一番線から洗滌線へ向って発車しようとした。その際、原告が指揮した二〇名近い組合員は、機関車の側面すれすれにまで詰め寄り、臨時の入換機関車を運転する場合は、斗争時においても平常時と同様に組合と事前協議すべきである、という見解の下に、組合に連絡することすらせずに運転することは許されない旨、原告を初めとして口々に主張したため、白石助役は、かような状況下で運転した場合接触事故が発生する危険を慮り、操車担当者から「進行」の合図はあったが、発車を一応見合わせ、下車したうえ対策本部の輸送本部に赴き、原告ら組合員に対して発車の妨害をしないよう交渉してもらうべく、山田検修科長に応援を求めた。三、四分後駈けつけた山田科長は、当局側が斗争時に臨時の入換機関車を運行さす場合、組合と連絡・協議する必要はなく、そのような慣行もないとして、機関車の外で原告らと激しく言い合っていたところ、原告は、突然、運転席のドアーをあけて前記両助役が勤務中の機関車の乗務員室に乗り込み、驚いてその後に続いた山田科長に対し、なおも乗務員室内で運転を認めるわけにはいかない旨執拗に主張し続けた。原告は、その揚句矢庭に、青木助役が着席していた機関士席の傍らにある「運転位置」にセットされていた自動制動弁ハンドルに手をかけ、「制動位置」の方へ動かしたうえ「重なり位置」で少し上方へ持ち上げた。両助役及び山田科長は、ハンドルは「重なり位置」で上部に抜き出すことができる仕組みになっており、一旦抜いてしまうと運転開始までに四、五分を要するため、突嗟に、各人の手で原告のハンドルを握った手を上から重なり合うように押え付けて制止し、原告を下車させたうえ山田科長が前記対策本部へ同行し、交渉を続けた。原告ら組合員の以上の妨害により、入換作業は二〇分程度の遅延を余儀なくされたが、原告が前述したように機関車に乗り込んでから下車するまでの時間は、二、三分であった。

原告は、本人尋問において、操車担当者の「進行」の合図があり、機関車がまさに発車しようとしたため、接触事故発生の未然の防止と、当局側が組合と話合いを十分にしないまま運転を強行しようとする態度に抗議する、以上の意味において、「制動位置」にセットすべくハンドルに手をかけたが、右セットする前に手を押えられてしまい、ハンドルを抜かうなど全然しなかった旨、供述している。しかし、原告がハンドルに手をかけた当時「進行」の合図があって発車しようとしたかどうかについては、前掲白石証言が否定しているばかりでなく、前記認定のように本件機関車は暫らく前から発車を見合わせており、また、≪証拠省略≫から認定できる本件機関車が発車したのは、原告が下車したうえ対策本部における交渉を終えて組合員と共に引き揚げる途中であった、以上の諸事実を考え合わせると、前記「進行」の合図云々の供述部分は採用できず、原告がハンドルに手をかけた後の動作についての供述部分も、前掲各証拠に照らすと、採用できない。そして、他に前記認定を左右すべき証拠はない。

(三)  乗務員強制連行

高崎第一機関区所属工藤敏雄運転士が、五月三〇日午後六時前頃、回送客車八〇二D列車を運転して尾久駅に到着してその乗務を終了したことは、当事者間に争いがない。

≪証拠省略≫によれば、次の事実が認定できる。

工藤運転士は動労組合員であるが、当日の業務が終了したため、回送客車から下車して当直助役の出先点呼を受けに行こうとしたところ、田端支部の斗争最高責任者として東京地方本部から派遣されていた青木中央執行委員と原告に指揮された十数人の組合員に取り囲まれ、青木は左側から、原告は右側からそれぞれ抱えるようにして工藤の腕を取り、同人の点呼を受けさせて欲しい旨の要望を無視し、罵声を浴びせかけるまでしてストライキに参加するよう説得しながら、検修詰所前の広場まで連行した。折柄、同広場では数十人に達する組合員が集会を開いていたところ、工藤は、集会の前方を通り過ぎてその集団の外れあたりに差し掛った際、原告らの隙を見て田端機関区庁舎入口に向って走り出した。しかし、わずか四、五歩ばかり行っただけで原告に背後から飛びかかるようにして掴まえられ、同人に続いて数名の組合員も加わって配電室の壁に押え付けるようにしてその場に押し倒されたうえ、前記集会の中へ連れ戻された。

≪証拠省略≫のうち右認定に反する部分は、前掲各証拠に照らして、採用できず、≪証拠省略≫中に、工藤が走り出して原告ら組合員に捕えられた経緯の一切が記載されていないこと、及び≪証拠省略≫中に、工藤運転士は原告が背後から押し倒したかどうかについて記憶がない旨記載されていること、以上の事実も前記認定の妨げとはならず、他にこれを左右すべき証拠はない。つけ加えると、工藤運転士は、その証人尋問(昭和五〇年二月一七日施行)において、原告を含む組合員に腕を取られるなど身体に手を掛けられることもなく、一人で組合の集会の前を通り過ぎ、集会の外れ付近で走り出したところ、原告ではない背の高い若い男(原告は太っているが背は低い。)に飛び付かれて掴まえられた旨供述しているが、すでに言及した≪証拠省略≫における「記憶がない」旨の記載及び同証言からも窺えるように、工藤運転士は、本件当時は前述したように動労に所属していたが、本件直後の昭和四四年六月一〇日ごろ脱退して鉄道労働組合に加入し、更に同四八年八月一日ごろこれを脱退して同年一一月再度動労に加入して現在に至っている事実からみても、前記供述部分はたやすく採用できない。また、原告は、本人尋問において、工藤運転士が走り出すのを追っていたのは青年部に属する組合員で、同運転士に真先に飛び付いたのは大熊組合員であり、原告は取り押えた後に現場に行った旨供述しており、以上の事実を立証するため大熊組合員を証人として一旦は申請しながら、その取調請求を撤回している。

(四)  欠務

原告が、動労のストライキに参加するため、五月三〇日午前八時三〇分から翌三一日午前八時三〇分までの間、所定の勤務を欠いて職務を放棄したことは、当事者間に争いがない。

三  本件懲戒免職の効力

原告の本件各行為のうち、入換作業妨害は、業務執行中の職制に対する乗務員室に無断乗り込む等しての有形力行使による妨害であり、乗務員室強制連行は、逃れようとする組合員に対する暴力を振うまでしての阻止と組合集会への参加の強制であり、その行為の態様からみて、いずれも被告主張の「著しく不都合な行いのあったとき」という懲戒事由に該当するというべきである。そして、前者については、当時原告において機関車に乗り込みハンドルを動かすまでの行動に出ざるを得なかった必要性、緊急性はなく、職制側において原告ら組合員を挑発する等の状況もなかった。後者については、同一組織に所属している組合員に対するストライキ参加の説得活動の過程で発生したものであるが、前掲青木証言から認定できるように、もともと本件ストライキは、組合員各人がそれぞれ参加するかどうかを自主的に判断し決定するという、いわゆる自主参加方式により行われたものであるから、説得それ自体において通常のストライキの場合に比べておのずから制約があるにもかかわらず、原告は暴力を振うまでして相手方の行動の自由を奪ったものである。したがって、以上いずれの場合においても、原告の行動は、ストライキの場合における正当な説得活動の範囲を逸脱しており、企業秩序の維持確保の面からみて、とうてい許容されないと評されてもやむを得ないといえる。

次に本件以前の原告の処分歴として、弁論の全趣旨によれば、原告は本件におけると同一の法条に基づき、昭和三九年六月二六日停職一二月、同四一年一〇月一日戒告、同四二年四月一五日停職六月の各懲戒処分を受けたことが、認定できる。

以上諸般の事情を斟酌すると、本件処分事由のうちストライキ参加による欠務について、その法的評価を下すまでもなく、原告は入換作業妨害と乗務員強制連行の二点において、すでに懲戒免職されてもやむを得ない事由があるというべきである。

四  再抗弁について判断する。

本件懲戒免職事由である入換作業妨害と乗務員強制連行が正当な組合活動の範囲を逸脱していることはすでに判断したところであるから、正当な組合活動であることを前提とした不当労働行為が成立する余地はなく、本件全証拠を検討してみても、他に権利の濫用というべき事情は認められない。

したがって、原告の再抗弁はいずれも失当である。

五  以上により、原告に対する懲戒免職の意思表示は有効であるから、これが無効であることを前提とした原告の本訴請求は、その余の点について判断するまでもなく、失当として棄却すべきである。

よって、民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 宮崎啓一)

〈以下省略〉

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